Chapter:18 ポリジュース薬 前編
重い雪に覆われた上、吹雪と雷に襲われたその夜。
ホグワーツのとあるトイレでは、不気味な笑い声が響いていた。
「ふふふふふふふふふ。はぁーっはっはっはっはっはっ!」
「スマッシュしまっす〜♪」
彫りの深い顔立ちをしたゴーストのダジャレにも反応を見せず、グリフィンドールのローブを着たその男は高笑いを続けていた。
「ふははははは。完成した、ついに完成したぞ!」
深みのある低いその声が、高らかに宣言した。それは、何かに酔っているようにも聞こえた。
「このひと月半、一時も休むことなく鍋をかき回し続け、入手しづらい材料を手に入れ、難易度の高い調合を成功させた、この俺の最高傑作が! 俺の血と汗と涙の結晶が!」
彼の前では、不気味な色の液体で満たされた鍋が、ぐつぐつと煮えていた。
「ふふふ、ついにこれを使う日が来た」
彼が顔を上げると、四角い眼鏡にはめ込まれたレンズが、外で轟く雷鳴の光を不自然に反射した。
「俺の魔法薬は完璧だ。後は、その効果を確かめるだけだ」
自分に言い聞かせるように呟いて、彼は再び高笑いを始めた。
「あーっ、はっはっはっはっは!」
その高笑いは、それからしばらくの間、そのトイレに響き渡っていた。
◇◆◇ ◇◆◇
その朝、リョーマは眉間に走る痛みで目を覚ました。
「ん……何………?」
薄く目を開けると、白くてフワフワした物が目に入った。
「………カル、ピン………?」
寝惚け声で呼ぶと、それは細く一声鳴いた。そして、リョーマの頬を甘噛みした。早く起きろ、と言いたいらしい。
「……わかった、起きるよ。起きるってば」
昨夜は嵐の夜で、その朝は部屋が冷え込んでいた。暖炉の火が焚かれ、部屋にも暖房が効いているとはいえ、いつも4人で使っている部屋を一人で使うのは、気温ばかりではなく気分的にも寒い感じがしていた。
ベッドから出たくない気持ちはとても強かったが、リョーマはなんとか起き上がった。すると、カルピンの足に何か結び付けられているのに気づいた。
「何…これ………?」
結び付けられていたのは、小さな羊皮紙に書かれた手紙だった。差出人は、乾である。
「……越前、メリークリスマス。お前宛に面白い物が届いているから、早く下りて来い、乾……?」
何のことだ? と思いかけて、リョーマは気づいた。
昨日はクリスマスイブで、自分の誕生日だった。ということは。
今日はクリスマスである、ということに。
「ふーん、なるほどね。でも、面白い物って?」
誕生日のプレゼントなら、昨日のうちにもらっている。父親の南次郎が送りつけてきた、ガラクタとしか思えない物はもらっても全然嬉しくなかったが、カチローや桜乃たち、同級生から贈られたプレゼントは嬉しかった。
にもかかわらず、何か面白い物が届いているということは。
(誰か、クリスマスプレゼントくれそうな人って、他にいたっけ?)
まだ少し寝惚けている頭で考えながら、リョーマはベッドから降りて着替えた。冬休み中で、グリフィンドール寮にはリョーマを含めて5人しか残っていないとはいえ、その中には厳格な手塚がいる。
(規律を乱すヤツは許さん。休み中だからといって、だらしない格好はするな)
とキツく言われているのである。
ともあれ、セーターにGパンという普段着に着替えて、リョーマはカルピンを連れて談話室に下りていった。すると、そこには乾と手塚の5年生二人組がいて、早くもお茶を飲んでいた。
「やぁ、起きてきたのかい、越前。おはよう。そして、メリークリスマス」
「おはよう…ございます」
まだ朝早いというのに、乾はいつもと変わらない様子で声をかけてきた。すると、リョーマの腕に止まっていたカルピンが飛び立って、乾の腕へと下りていった。
「ありがとう、カルピン」
乾はカルピンの頭を撫でて、骨の付いた小さな肉片を口に含ませてやった。カルピンはそれをくわえると、フクロウ小屋へ戻るために羽ばたいていった。
「越前宛にクリスマスプレゼントが届いていたからね。運んできたついでに、起こしに行ってもらったんだ」
「ふーん、そうっすか」
なんだ、そういうことか。と軽く頷いていると、眠そうな目を擦りながら桃城と菊丸が下りてきた。二人とも起き抜けらしく、桃城のセーターはよれていたし、菊丸に至っては髪に寝癖が残っているという状態だった。
これで、この冬休み中にグリフィンドールに残っている生徒が全員揃ったことになる。
「もう、せっかく一人でゆっくり寝られると思ったのにぃ。……もうちょっと寝かせてくれたっていいじゃん、乾ぃ」
「そうっすよ。っていうか、もうちょっとマシな起こし方して下さいよ」
いったいどんな起こされ方をしたのか、とリョーマは一瞬背筋が寒くなるような気がしたが、聞かないでおくことにした。どうせ乾のことだから、ろくな起こし方じゃなかったんだろう。そう納得して、リョーマは悠然と肘掛け椅子に腰かけ、モーニングティーを味わっている手塚に声をかけた。
「部長も乾先輩も早かったんすか?」
「ああ。休みだからといって遅くまで寝ていると、体がなまるからな」
「……さすが部長」
手塚の答えに、リョーマは思わず呟いていた。
「それより越前。お前にこれが届いていたぞ」
談話室にあるソファの一つに、居残っているリョーマたちに送られてきたクリスマスプレゼントが山のように積み上げられていた。その中から薄茶色の包みを取って、乾はリョーマに手渡した。
「…………何すか、これ?」
その包みには、差出人が書かれていなかった。添えられたカードには、こう書いてあった。
君のお母さんが亡くなる前にこれを私に預けた。
君に返す時が来たようだ。
上手に使いなさい。
メリークリスマス
包みはとても軽い。開けてみると、銀ねず色の液体のようなものがスルスルと床に滑り落ちて、キラキラと折り重なった。
「それは……!」
乾が思わず、といった様子で呟いた。
「それって、もしかして……」
まだ寝惚け眼だった菊丸も、それを見て一気に目が覚めたようだった。
「何すか、これ?」
リョーマは輝く銀色の布を床から拾い上げた。水を織物にしたような、不思議な手触りだった。
「それは、透明マントだ」
「透明マント?」
「魔法使いの中でも、それを持っている者は少ない。とても貴重な物だ。そうだろう、手塚?」
「ああ」
リョーマに織物の正体を教えてくれた乾が、手塚に同意を求める。
「……って、部長も持ってるんすか?」
「お祖父様の形見を譲り受けている」
手塚に尋ねると、手塚は手にしている本から視線を外すことなく、短く答えた。
「ふーん。で、これってどうするんすか?」
「口で説明するより、羽織ってみろ」
乾に言われて、リョーマはマントを肩からかけた。桃城が叫び声をあげた。
「越前。お前、消えてるぜ!」
「え?」
下を見ると、マントに覆われた部分がなくなっていた。リョーマは鏡の前に走っていった。
「これって……」
鏡に映ったリョーマがこっちを見ていた。首だけが宙に浮いていて、体は全く見えなかった。試しにマントを頭まで引き上げると、リョーマの姿は鏡から消えていた。
桃城が興奮しきったように、リョーマを捕まえようとして腕を宙に伸ばしたが、空を切って泳いだだけだった。
「すげぇぜ、越前。お前、本当に消えてるぜ」
「でも、差出人不明ってのが、気になるにゃぁ。おチビに返す、なんて言ってるけど。俺だったら、そのままもらっちゃうにゃ」
「よほど、生前の越前のお母さんに縁のある人なんだろうな。それより、それはかなりいろいろなことに使えそうだな」
菊丸の物騒な言い分は置いておいて、乾が眼鏡を不気味に光らせた。その意味深な言い方に、リョーマは何か引っかかるものを感じていた。
(それって、つまり……。今夜これを使えってこと?)
リョーマと桃城と菊丸が計画したスリザリンへの潜入は、今夜決行することになっていた。
校内を歩くには、制服を着なければならない。そのために一度部屋に戻った時、まるで目を閉じているのかと思うほど細い目をした、黄色かかったフクロウがリョーマに手紙を運んできた。差出人は、乾だった。
昼食後に一度夜の打ち合わせをするから、とダビデのいるトイレへ呼び出すものだった。
クリスマス仕様なのか、驚くほど豪華な昼食をとって、リョーマは桃城や菊丸と一緒に、乾の指示通り嘆きのダビデが住み着いているトイレへ向かった。ハロウィーンの夜にトロールが壊した壁やドアは、すっかり元通りに直っていた。
人気のないそのトイレにある手洗い台の前に、グラグラと煮え立つ大きな鍋が置かれ、その前には乾がいた。鍋の中では、お玉が勝手に中の液体をかき回していた。そして辺りには、強烈な異臭が漂っていた。
その臭いがあまりに強烈で、リョーマは
「サイって最高。 ……ぷっ」
などとダジャレを連発しながらトイレ上空を漂っているダビデも、そのダジャレも全く眼中に入らなかった。
「な、何なんすか……この臭い?」
「これか? ポリジュース薬だ。お前たちが俺に頼んだ、な」
乾の肩には、リョーマに手紙を運んできた、目を閉じているのかと思うようなフクロウが止まっていた。羽は茶色というより黄色に近く、腹は白い羽毛で覆われ、下の方には黒い斑点がいくつかあった。リョーマが持っている白フクロウのカルピンとは、全く雰囲気の違うフクロウだった。
「後は、変身する相手の一部を混ぜればいい」
そう話す乾の足元には、何枚か制服が置いてあった。一番上に乗っているローブの紋章を見ると、緑の地に蛇が描かれている。スリザリンの制服だった。
「それ、スリザリンの?」
「ああ。あそこに入るのに、グリフィンドールの制服じゃまずいだろう?」
「まぁ、そりゃそうだけど」
「心配するな。ちゃんと、忍足と向日、それから芥川の体形に合った制服を選んでいる」
「っていうか……それ、どこから持ってきたのさ、乾?」
「洗濯物置き場だ。ああ、ちゃんと洗濯済みの物を持ってきたから、安心してくれ」
菊丸と乾の問答を聞きながら、リョーマはそういう問題か、と思っていた。
「でも、乾先輩。なんでスカートが入ってるんすか?」
1枚1枚制服をめくっていた桃城が、乾に問いかけた。すると、乾は肩のフクロウと一緒にくるりと振り向いて、不自然な逆光を浴びていた。
「それは、越前に着てもらう」
「「「はぁ?」」」
乾の言葉に、リョーマと桃城と菊丸は3人同時に声を上げていた。
「俺のデータによれば、忍足は女に弱い。特に、背が低く、かわいい顔をした女子が好みなんだ。そこで、だ」
乾はローブからカップケーキを3つ取り出した。
「越前が女子の制服を着て、忍足の前に進み出て、これを食べてくれ、と頼めば…忍足が言われたとおりにこれを食べる確率、100%だ」
「……それ、何すか………?」
思わず頭を抱えてしまいたくなるほど嫌な予感がしたが、リョーマは一応尋ねてみた。すると、ほぼ予想どおりの答えが返ってきた。
「これには、眠り薬が仕込んである。食べた1分後に眠りにつき、きっちり3時間後に目覚めるように調合したものが、な」
「なんで、んなモン作ってるんすか?」
桃城に尋ねられて、乾は心外だ、といった様子で答えた。
「お前たちがスリザリンへ入り込んでいる間に、ターゲットにしている人間が戻ってきたら困るだろう? だから、これで眠らせておくんだ」
「さっすが乾ぃ。よく考えてるにゃぁ」
「これくらいは、当然だろう」
乾が得意げに口元を緩ませる。肩に止まっているフクロウも、その乾の表情に同調するかのように微笑っていた。
「っていうか、それはわかったんすけど。なんで俺が女装しなきゃいけないんすか?」
「お前たち3人の中で一番背が低いのは、越前だ。それに、まだ声変わりして間もないから声が高い。女子の制服を着てこのカツラをつけたら、女子に見えると思うぞ」
「そうそう。いいじゃん、着てみるにゃぁ」
「俺や英二先輩じゃ、無理があるからな」
桃城と菊丸も、面白そうだとニヤニヤしていた。
「っていうか……俺、こんなのイヤで……」
言いかけたリョーマの言葉を遮るように、桃城と菊丸と乾が声を揃えて命令した。
「「「着ろよ」」」
3方向からどアップで言われて、リョーマはその勢いについ頷いていた。
「わ、わかったっす……」
それからリョーマは乾から厳しい演技指導を受けて。
何とか様になってきた頃にはすでに日も落ちていた。
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