リョーマがクィディッチで試合最短記録を更新した翌週の水曜日。

 夕食後に天文台で行われる天文学の授業を他の1年生たちと一緒に受け、眠い目を擦りながら寮へと戻っていたリョーマは、階段から駆け下りてきたレイブンクローの生徒とぶつかった。

「うわっ、とっ、と……。あ、ああ、ご、ごめんね」

「いや、別に大丈夫っす」

 眼鏡をかけていて冴えないその男子生徒とぶつかった弾みで、リョーマは天文学の教科書と筆記用具を落としてしまった。ぶつかった方の男子生徒も、図書館で借りた本を取り落としていた。

「越前、お前がぼーっとしてるからだぞ」

「別に、俺普通に歩いてただけだし」

「ほ、本当にごめんね。僕、門限が近いから急いでて……」

 堀尾がリョーマをからかった言葉も、その男子生徒は自分のせいだと思ってしまったらしい。何度も頭を下げてリョーマに過った。

「いいっすよ。気にしてないっすから」

 そう言って落とした教科書を拾い上げようとして、リョーマはふと本のタイトルに目がいった。『強力な闇の魔法から身を守る方法』。こんな本が図書館にあったのか、とリョーマが感心しているうちに、彼は他の本を全て拾い上げて、その場を後にしようとしていた。

「あ、これ。忘れてるっすよ」

「え? あ、ほ、ほんとだ。ごめんね、君みたいな人に拾ってもらって」

 リョーマにその本を差し出されて、彼は何度も何度もぺこぺこと頭を下げて受け取った。

「俺みたいなって?」

「え。だって、君、有名人じゃない。1年生でクィディッチチームの選手でシーカーで、先週なんかうちのチーム相手に試合の最短記録を更新するなんて」

「そうなんすか?」

「そ、そうだよ。うちの寮にもファンが多いんだから。1年生の葵君みたいに」

 言い方からして、彼は上級生のようだった。が、あまりにも冴えなくて、とてもそんな風には見えない。まぁ、せいぜい2年生だろうと思っていると、彼はリョーマに尋ねられる前に自己紹介をしてくれた。

「僕、レイブンクローの4年で野村拓也っていいます」

「あ、そう」

「でも、野村先輩。なんでそんな本借りてるの?」

 そっけなく頷いたリョーマの横から野村に問いかけたのは、一緒に寮へ戻っていた朋香だった。尋ねられた野村は、どこか恥ずかしそうに答えた。

「ぼ、僕はマグル出身でね。ほら、ハロウィーンの時に不気味な血文字が書かれたじゃない?」

 野村が話しているその血文字は、数週間経った今でも、書かれた直後と同じように鮮やかに、松明の明かりに照らされてぬらぬらと光っている。毎日その場を見張り、壁を掃除しているフィルチの努力をあざ笑うかのように。

「『継承者の敵』っていうのが、マグル出身者だって聞いたから、少しでも何か役に立つことがないかと思ってね」

 その時、真夜中を知らせる鐘が鳴り響いた。

「ああ、寮に帰らなきゃ。おじいが寝ちゃうと寮に入れなくなるんだよね」

「おじい?」

 ボヤいた野村に、カツオがおうむ返しにする。すると、野村は苦笑して教えてくれた。

「うちの寮の入り口にある絵なんだよ。もうかなりの年だから、夜遅くなると寝ちゃうんだ。おじいが寝ちゃうと、合言葉を言っても聞いてくれなくてね」

「そ、それは大変ですね……」

「じゃ、僕はこれで。本当にごめんね、越前君」

 去り際にも何度か頭を下げて、野村はレイブンクロー塔の方へと走り去って行った。

「あの人、ちゃんと寮に入れてもらえるといいね」

 それを見送りながら、カチローがポツリと言った。カチローの言葉に深く頷きながら、朋香は桜乃に同意を求めた。

「そうね。でも、遅くなると寝ちゃうなんて、入り口守ってる意味ないわよ。そう思わない、桜乃?」

「え? あ、でも……お年寄りなら、仕方ないかもしれないよ」

 突然話を振られた桜乃は、はにかんだ上にしどろもどろになった。

「ま、年寄りっていうなら、うちの寮の絵も似たようなモンだしな」

「堀尾、それあの絵が聞いたら怒るよ。それより、早く帰らないと、俺たちも中に入れてもらえなくなるんじゃない?」

「あ、そうだった。帰るぞ、皆!」

 何故か堀尾が先頭にたって、リョーマたちは寮へと急いだ。なにせ彼らの寮は、入り口の絵よりも怖くて厳しい監督生が約1名いるのである。

(グラウンド10周! なんて言われるの、イヤだしね)

 リョーマたちは、門限スレスレで談話室へと飛び込んでいた。





 翌日のクィディッチ練習は、いつになく力が入っていた。スリザリンと対戦する土曜日の試合までに練習できる、最後の日だったのだ。

 それも関係しているのか、フォーメーション確認やスニッチを捕まえる練習など、乾の組んだメニューはいつになく丁寧で、細かいものだった。

 厳しい練習を終え、夕食を食べた後に、また空いている教室を借りての秘密ミーティングで延々乾の解説を聞かされ、いい加減うんざりしかけたところでようやくお開きになった。

「乾先輩、かなり気合入ってたっすね」

「だな。ま、気持ちはわかるけどな」

「そんなに強いんすか? スリザリンって」

「強いぜ。なんたって、跡部さんがすげぇ。あの人の飛行術は、もしかしたら部長よりすげぇかもしれねぇ、ってくらいだからな」

「ふーん」

 あの人って、ただのナルシストで偉そうな人じゃなかったんだ。そんな越前の言葉に、手塚を除く全員が苦笑しながら階段を上がり、次の廊下の角を曲がると、そこは暗い影が支配していた。

 はめ込みの甘い窓ガラスの間から激しく吹き込む隙間風が、松明の明かりを消してしまっていたのである。

「ずいぶん暗いな」

「うにゃー、俺暗いトコ嫌いだにゃー」

「なんなら、杖の先に明かり灯して行こうか、英二?」

 大石と菊丸と不二が口々に言い合う中、廊下の真ん中辺りまで来た時、先頭を歩いていた河村がいきなり声をあげて前のめりにつんのめった。

「うわっ! な、何だ、これ?」

「どうしたんすか、タカさん?」

「何か床に転がってるみたいだ。今、つまずいて……」

 周りが暗いせいで、わけのわからない物につまずいて戸惑っているのか、河村は桃城の問いかけにもしどろもどろになっていた。

「ちょっと待ってくれ。今、明かりをつける」

 乾が杖を取り出して、小さく呪文を唱えた。ポッと乾の杖の先に明かりが灯り、辺りを照らし出す。そして露になったそれを見て、全員が息を呑んだ。

「何、なんすか……これ……」

 最初に口を開いたのは、桃城だった。他の者は、声も出なかった。

 そこに転がっていたのは、あちこちの廊下に飾られている鎧でも、石像でもなかった。冷たく、ガチガチに硬直し、恐怖の跡が顔に凍りつき、虚ろな目が天井を凝視した人間だった。

 その顔に、リョーマは見覚えがあった。昨日の夜、リョーマとぶつかって本をばら撒いた、レイブンクローの4年生、野村拓也だった。

「野村、先輩……?」

「野村? レイブンクローの?」

「っす。昨日の夜、たまたま俺とぶつかって、それで……」

 合同授業で会ったことのある大石は、覚えがあったらしい。

「それだけではなさそうだぞ」

 大石とリョーマの会話を遮るように、手塚の低い声が響いた。厳しさはいつもと変わらないが、それでも動揺は隠せないのか、かすかに震えているように聞こえた。

 手塚が黙って指差した先には、見たこともない不可思議なものがあった。

「ほとんど首なしニック……」

 茫然自失、といった様子で乾が呟いた。

 それは、グリフィンドールのゴーストだった。長い巻き毛の髪に、派手な羽飾りのついた帽子をかぶり、ひだ襟のついた上着を着ている、乳白色のゴースト。切れない斧で45回も切りつけられたにもかかわらず、首と胴体が1センチの皮1枚でつながっているがゆえに、『ほとんど首なしニック』のあだ名で呼ばれているゴーストだった。

 普段は陽気な性格で、時々頭が首からグラッと外れ、蝶番で開くように肩の上に落ちる芸を見せてくれる、なかなかの人気者のニックが。

 透明な真珠色ではなく、黒くすすけて、床から15センチほど上に、真横にじっと動かずに浮いていた。首は半分落ち、顔には野村と同じ恐怖が張りついていた。

「うわぁっ、何だ、これ!?」

 皆がそのすさまじい光景に凍りついている中、今度は海堂が慌てたような声をあげた。

「どうした、海堂?」

「こ、これ……」

 海堂の声に立ち直ったのか、いつもの冷静な様子に戻った乾が問いかけた。すると、海堂は震える指で床を指していた。すると、クモが二つの物体から逃げるように、一列になって、全速力でガサゴソと移動していた。

「……そうか、海堂はクモが苦手だったな」

「けっ、情けねぇなぁ、マムシよぉ。お前、こんなのが苦手なのかよ」

 海堂をからかう桃城の声も、どこか無理をしているように聞こえた。

「そう言う桃先輩も、声震えてるっすよ」

「る、るせぇよ、越前」

「うわぁ、でもホントに不気味だにゃぁ。こりゃ、海堂じゃなくてもイヤだにゃ」

 クモたちは、はめ込みが甘いせいで隙間風が吹き込んでくる場所から、外へと逃げ出していた。

「手塚、どこ行くの?」

 そんな光景から目を逸らすように、きびすを返して廊下を立ち去ろうとする手塚に、乾が声をかけた。

「先生方を呼んでくる。俺たちの手に負えることじゃないだろう」

「それもそうだね」

「お前は廊下の松明に明かりを点けておけ。大石、他の連中を連れて、先に寮に戻ってくれ」

「わかったよ、手塚」

 先生方への事情説明は、乾と手塚の沈着冷静コンビに任せておけばいい。誰よりも冷静な手塚の指示に、全員が納得していた。

 現場に乾だけを残して大石に連れられて寮に戻る途中。リョーマはまた、あの声を聞いたような気がした。

 骨まで凍るような、氷のように詰めたい毒の声を。





 野村とほとんど首なしニックの一件は、瞬く間にホグワーツ中に広まった。ハロウィーンの夜、ミセス・ノリスと同じように石にされてしまったという事件は、それだけ衝撃的なものだった。

 その目撃者が、グリフィンドールのクィディッチチーム全員だ、ということに関しても、口さがない連中は、チームの中に犯人がいるのではないかと囁きあっていたが、説得力がないためにその意見はすぐに却下されてしまった。

「明日行われる予定だったスリザリンとの試合は、来週に延期されるらしい」

 夜、談話室に戻った面々に、手塚が告げた。

「延期って、なんで?」

 食ってかかってくる菊丸に、手塚は静かに続けた。

「先生方が決めたことだ。俺の知ったことではない。だが、恐らくは俺たちに配慮して下さったんだろう」

「……確かに。あんなものを見た後じゃ、まともな試合はできそうにないからな」

 大石も、手塚の推論には同意した。

「とりあえず、1週間余分に与えられたってことか。有効活用しようじゃないか」

「有効活用って?」

 聞き返してきた不二に、乾はニヤリ、と口の端をつり上げた。

「もちろん、スリザリン戦へ向けてのデータ分析と、特訓だ」

「なるほどね」

 不二のように口に出すことはしなかったが、リョーマも乾の言葉には納得していた。目に焼きついて離れないあの光景を払拭するには、クィディッチに没頭するのが一番いい。

「というわけで、明日は朝から競技場を借りて練習するから。まずは、6時に早朝ランニング。全員参加だから、遅れないようにね」

「えー!? 勘弁してよ、早すぎるって、乾」

「そうだよ、それ横暴っす」

「っていうか、何でそんな朝っぱらから……」

 が、さすがに早朝ランニングの指示には、リョーマも河村と桃城に倣って不平の声をあげた。

「スリザリンとの試合は、間違いなく長期戦になる。それに、クィディッチシーズンも長い。体力がないと、乗り切れないぞ。ちなみに、遅れた人間にはこの……」

 言いながら、乾は小さく呪文を唱えながら杖を一振りして、不吉な物体を出した。ジョッキに入った、不透明な緑色の液体だ。

「乾特製野菜汁を飲んでもらうから」

「ついでに、朝食後の練習前に、グラウンド10周を追加する。遅れたくなければ、早起きするんだな」

 ある意味で最強の監督生と、本当に最強の監督生の決定に意義を唱える者は、誰もいなかった。

「あれ、越前。お前、もう寝るのか?」

「明日、朝早いんだよ」

 それから間もなく、リョーマは早々と自室へ引き上げていく先輩たちに倣って、ベッドへ潜り込んだ。

 ベッドには入ったものの、いつも寝る時間よりまだ早くて寝付けずに、リョーマは何度も寝返りを打っていた。そして、ふいに1通の手紙のことを思い出した。

 リョーマをこのホグワーツに導き、いつも見守ってくれているハグリッドから送られてきたものだ。一昨日に白ふくろうのカルピンに届けられて、まだ返事を出していないものだった。

(ホグワーツに入学してから2ヶ月と少し。そろそろ学校生活には慣れましたか? 一度ゆっくりお茶でも飲みに来て下さい)

 大男ハグリッドらしい、大きく太い字で書かれたそれを、窓の外から差し込む光で眺めながら、リョーマはぼんやり考えていた。

(この際だから、ハグリッドの誘いに乗ってみるのも、いいかも)

 明日はハグリッドに返事を書いて、カルピンに届けてもらおう。

 そんなことを思うともなく考えながら、リョーマはゆっくりと眠りに落ちていった。





ということで、筆者体調不良のため1週飛んでしまった、ハリポタdeテニプリでございました。
事件現場からお送りしたこのお話、いかがだったでしょうか?
そして、この話を書く必要があったために、急きょレイブンクローに六角メンバーが加わった、というわけなのですね(笑)。
だって、ノムタクを犠牲者にしようと思ったら、レイブンクローの選手が足りなくなってしまうんですもの(苦笑)。

それにしても、対スリザリン戦を前に、グリフィンドールでは事件が相次いでいるようです。
次は誰がどうなるのか、お楽しみに(^^)。





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ハリー・ポッター
de
テニプリ
Chapter:13   第1の犠牲者

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