61日遅れの記念日に

Happy Box

柳×乾祭Returnにいただいた作品

61日遅れの記念日に

~From:沖田朝様



 蓮ニに呼び出された、8月3日午後七時。
 チューボーが逆立ちしたって入れそうにない、立派な料亭の離れに通された俺は、落ち着いた内装と見事に調和した(寧ろ同化した)幼馴染に出迎えられた。


「俺は別に逆立ちなどしていないが。」
 相変わらずしれっとした口調で、他人が聞けば何も脈絡の無いような言葉をつむぐ。
「……ヒトの思考を読むな、この達人め」
 ま、『互いを知り尽くしている』のだから、仕方ないか。それでも俺は、わざと相手に聞こえるように溜め息を付きながら、腰を降ろして蓮ニと向き合う。
「何か用か? 突然呼び出して……」
「料亭でやることと言ったら、相場は決まっているだろう?」
 質問を質問で返しながら、蓮ニは薄く目を開けてちらりと隣の部屋に続くであろう襖へ視線を滑らした。途端に口元に、意地の悪い微笑が浮かぶ。
 俺は思わず腰を浮かせて後ずさる。そんな俺の様子に満足したのか、蓮ニは喉の奥で低い笑い声を上げた。
「飯を喰うだけだ。襖の奥に布団の一式も敷いてないぞ。…そう妙な期待をするな、貞治」
「………からかうんだったら、帰るぞ」
「これしきのことで拗ねるな。相変わらずお前は可愛いな」
「お前、今の俺のセリフ聞いていなかったのか?」
「からかってなどいない。俺は、お前に嘘などつかない。」
「張ったりは平気でかますくせに」
「テニスにおいても人生においても、勝者とは他人を転がしてなんぼだ(しれっ)」
 口調も表情も変えないままだが、幼馴染の機嫌はかなりいい。今日、何かいいことでもあったのか。
 4年と2ヶ月と22日ぶりの、幼馴染との軽口のキャッチボール。一週間前までこんな日が来るとは夢にも思ってみなかった。そう、ちょうど一週間前の、関東ファイナルS3の、『あの日の続き』を完成させたあの時までは…。
 俺にとっては幼馴染で、旧ダブルスパートナーで、データテニスの師匠で、親友で。
 そして、青学の全国制覇最大の壁である王者立海大附属の三強の一人にして達人の異名を持つ、Jr選抜者で。
 適うわけないと思う気持ちも、確かにあった。
 でも、『負けたくない』という気持ちがいつの間にか膨らんで、それがもっと強い、『勝ちたい』という気持ちに変わっていって…。
 青学の乾貞治として、立海の柳蓮ニに勝ちたいと、切に思うようになった。ネットを挟んで4年と2ヶ月と15日ぶりに対峙したとき、『願う』ではなく、『思う』気持ちが自分の中であまりにも大きくなっていたことに、俺自身が一番驚いた。
「…青学の調子はどうだ? ……ああ、これは青学の参謀として答えたくなければ、答えずとも良い」
「いや…調子はいいよ。全国に向けて日を追うごとに強くなっている…。特に越前や桃城、海堂なんかは一日前のデータが役に立たないんだ……まったく、アイツラの勝利への貪欲さは理屈じゃないよ」
 我ながら親バカ全開だとは思うが、この頃は自分のスキルアップよりあの三人の成長が嬉しくてしょうがない。
 自分でも解るほど顔が緩むのを感じる。でも、こればっかりはしょうがないな…。
「本当にあの三人はデータマンの敵だな…」
 苦笑を浮かべつつ、俺は照れ隠しに頭をかいた。
「ほう…それは楽しみだな。せいぜい後輩諸君を大切にしてやれ」
 何も言わずにしばらく俺の顔を見ていた蓮ニの言葉は、意外に硬い声だった。
「……? 蓮ニ? ナニ怒ってるんだ?」
「怒ってなどいない。」
「……お前、俺には嘘をつかないんじゃなかったのか?」
「………」
 むっつりと口を真一文字に結んで、貝のように黙りこくる。こうなった蓮ニは相当不機嫌で、当分口を利いてくれない確率82%。
 さっきまでの機嫌の良さは何処に行ったのか。重い沈黙が立ち込める。嫌だなぁ…。
「失礼いたします、お食事をお持ちしました」
 遠慮がちに障子が開けられて、漆黒の器に盛られた色彩々の料理が目の前に並べられる。懐石料理って言うんだろうなー…これ。
「…俺、今日あんまり持ち合わせないぞ?」
 店の住所と名前だけ教えられて、まさかこんなに高価そうな店だとは思わなかった。
「……余計な気を回すな。全て俺持ちだ」
 ピシャリと会話を打ち切るようなその口調に、いつもは軽く受け流せる自信はあるものの、やはり幼馴染とあって遠慮を感じる暇も無いのか、俺の怒りのボルテージが上がるのを感じる。それでもなけなしの理性と意地を総動員して、蓮ニのご機嫌取りを試みる。
「蓮ニ、立海の調子はどうだい?」
「………どうもこうも。精市の退院の日取りも決まってやっとレギュラー全員が揃い、全国三連覇への勝率も96%を上回る勢いだ。関東大会では16連覇を逃して、久々に立海歴代首脳陣が集まり現レギュラーへの緊急制裁会議が開かれてハゲ、もといジャッカルが神経性胃痙攣で吐血したり、ガムもとい丸井が体重を五キロほど減らしたり、紳士が過労で倒れたり、赤也が失踪したり、弦一郎がアバラを折ったり折らなかったりしたが、おおむね俺と詐欺師は息災だ。」
「……って、立海の鉄(拳制裁)の掟は幸村との約束を守るためでなく校風か…!! というか、何でお前と仁王だけは無事なんだ?」
「日頃の行いがよいからな(しれっ)」
「達人と詐欺師の分際で?」
「分際言うな。」
 カッと見開かれた蓮ニの目に見つめられて、俺は背筋が凍りつくと同時に怒りのボルテージが跳躍したのを感じた。要は、『堪忍袋の緒が切れた』だ。
 感情の赴くまま、俺は席を立つ。ガタンと音がして無作法極まりないが、そんなことを気にしている余裕はなかったし、義理も無かった。
「貞治?」
「…帰る」
 我ながら大人気ない、とは思う。
 やっぱり蓮ニだからかなぁ。海堂をはじめとする後輩にはもちろん、手塚や不二達同輩にも、こんな風に駄々をこねるようなことはしたことがない。
 乱暴に障子を掴んで開け放つ。パーンッと甲高い音がした。
「――っ、貞治っ!!」
 部屋を出ようとした俺の背中に、今まで聞いたことが無い必死な蓮ニの声と、暖かな人間の体温を感じた。
「――!?れっ…」
「…悪かった……いくらでも謝るから、帰るな」
 後ろから俺の肩に頭をこすり付けるようにして、ぎゅっと俺を抱きしめる。
 この、プライドの高い蓮ニらしからぬ行動に、ちょっと俺はテンパった。こんなのデータにないぞ。更新しなきゃ…って、そうじゃなくて。
 なんだこれ? ひょっとしなくても俺、今、蓮ニに甘えられているのか?
 4年と2ヶ月と22日前にはありえないことだった。逆は…俺が蓮ニに甘えることはしょっちゅうだったけど、蓮ニからは一度も無かったってのに。
「……はいはい、帰りませんからちょっと離せよ、蓮ニ。苦しい、力強すぎ、ツメ食い込んでるから。」
 息を吐いて、俺も首をかしげるようにして蓮ニの頭に頬を摺り寄せる。さらさらの髪をくすぐったく思いながら、キツく胸に回された蓮ニの腕を軽くポンポンと叩いて抗議する。いつの間にか怒りは収まっていた。
「…力を緩めるから、もう少しこのままの体勢でいさせろ」
「やっぱり帰る」
「…………」
 先程までとはまた違う不機嫌オーラ全開で、蓮ニはまさに渋々といったテイで俺を解放した。
 他人が見れば相変わらずの無表情、無口な薄味だったが、俺の目は誤魔化されない。
「名残惜しそうにヒトをじろじろ見るな」
「何のことかな(しれっ)」
 何処までもふてぶてしい幼馴染の態度に呆れながら、俺は再びどかりと座って、頭をわしゃわしゃかいた。蓮ニも再び腰を降ろす。
「だいたいなぁ、この夏真っ盛りに180強の男二人が密着してる光景なんて、一種の公害だよ。やる側はもちろん、見ていて暑苦しいこと極まりない。電車内でのバカップルの公衆完全無視のチューと同レベル! 公共の福祉に反するね。」
「あのような低俗行為と一緒にするな。」
「ってか、物欲しげな目でヒトを見るな。なんだ蓮ニ、人肌に飢えているのか?」
「俺は貞治以外の人肌に興味は無い。」
「まったく、蓮ニもやっぱチューボーだな。無駄に人生達観しすぎると他人に甘えづらくなるモンなー。その点俺なら気心も知れてるし、遠慮も要らない訳だからな。一日だけとはいえ俺はお前より人生経験あるし、甘えたいときにはいつでも胸を貸してやろう!」
「………………もういい。」
 蓮ニはワザとらしいほどの大きな溜め息を付いて、こめかみを抑えた。なんだよ、相変わらず人の親切を無碍にするヤツだな。
「とにかく喰え。椀物が冷める。」
「……いただきます。」
 釈然としない思いを押さえ込んで、俺は懐石料理に手をつけた。それは予想通りに蓮ニ好みの薄味で、でも素材の味を充分に活かした見事なものだった。
「……旨い…」
「そうか」
 久々に見る、蓮ニの笑顔。あの頃の写真に写るそれと同じものだった。
「それより、最初の話題に戻るけど、何で俺をこんなところに呼び出したんだ? 一緒に飯喰うにしても、ちょっと豪勢過ぎるだろう?」
「……今日は何日か知っているか、貞治」
「今日? 8月3日だろ?」
「そう、三日だ。」
 汁物をすすりながら蓮ニは涼しい顔で、のらりくらりと答える。要領の一向に掴めない会話に、俺は首をかしげて先を促す。
「まだ気付かないのか。最終ヒントだ。……二ヶ月前は何日だ、貞治」
「2ヶ月前って6月…」

 あ。

 クスリと微笑って蓮ニは目を開けた。いつもは、開眼=ロクな事がない、という蓮ニの瞳はとても優しい光を宿していた。
「そうだ貞治。お前がこの世に生を受けた日だ。」
 椀を持ったまま、蓮ニはくすくす微笑っている。よっぽど俺は間抜けな顔をしていたらしい。慌てて俺は顔を引き締める。蓮ニも椀を置いてまっすぐ俺の目を見つめた。分厚いレンズを射抜くような強い視線。
「四回も言えず、やっとめぐった五回目も二ヶ月遅れで格好が付かず申し訳ないが……貞治、俺はお前と再会するこの4年と2ヶ月と15日という間、お前が生まれ出でた6月3日という日に、お前を生んでくれたお前の両親に、そして何より乾貞治という存在が今、俺の目の前にいる『お前』であるということに、感謝しない日は無かった。……それは、きっとこれからも変わらん」
「…………」
「ふむ、『乾貞治は照れると耳まで真っ赤にして、なおかつ照れ隠しに眼鏡の蔓を無意味にくいくい上げる』……データどおりだな」
「うるさい」
「なに、幼少のみぎりのままの癖で、俺としては喜ばしい限りだ」
「別に蓮ニを喜ばすためじゃない!」
「安心しろ。俺にとってはお前の存在自体が喜びだ」
「なんでそこで俺は安心しなきゃなんないんだよ!!」
「………俺としては後者の言葉に反応して欲しかったのだがな。まぁいい…」
 蓮ニは鞄からリボンの掛かった、一目でプレゼントとわかるモノを取り出して俺に差し出した。
「…開けていいか?」
「ああ」
 包装紙の中から出てきたのは、シンプルな銀色のフレームの写真たてに収められた、一枚の写真。
「これ…」
「月刊プロテニスだったかな…それのカメラマンから買い取った」
 関東大会決勝S3。
 互いに汗だくで、立っているのがやっとだった試合終了の握手。蓮ニは微笑を浮かべているけれど、俺は今にも倒れそうになるのを必死に堪えて鞭打って、何もかもいっぱいいっぱいで、愛想のかけらも無い表情で。
「…俺たちにとってゴール地点であり、出発点でもある試合だ。俺も同じものを持っている」
「うん…」
 4年と2ヶ月と15日。
 長いようで、短かかった『べっさつ』の連載期間。
「あー…、そうすると俺、明日蓮ニの誕生日祝わなきゃな。プレゼントなにがいい?」
「…とってつけたような物言いだな、貞治。お前でなければ相模湾に沈めて魚の餌にしていたぞ。…俺はお前とともに過ごせれば、何もいらん」
「んじゃあさ、互いのデータの更新って言うのはどうだ?」
「なんだ、早速敵状視察か? それとも立海に青学を売るのか?」
「そのどっちでもありませーん。…ま、立海のマスター柳のデータも欲しいけどさ、それは別件で調べるよ」
「別件か。結局調べるのか。」
「そりゃあなー。って、俺が更新しようつったのは、ただの『乾貞治』と『柳蓮ニ』のデータ! 4年と2ヶ月と22日前はずっと同じもの見てきたけどさ、今はだいぶ違うからなー…あの頃よりは大人になったし、思い出も増えたし。語る事も色々あるでしょ?」
「…そうしてまた、俺の『べっさつ』を作るのか?」
 最上級の微笑で、蓮ニは俺の目を捉える。俺もまっすぐ蓮ニの瞳を見据えた。


「……書き続けるよ。俺が俺でいる限り、お前がお前でいる限り、『未来』はずっと続いてくから―――……」

                            61日遅れのHappy Birthday 

「ところで蓮ニ。お前この握手のとき、負けたにもかかわらず微笑ってたけどさ、ひょっとしてこの写真のために計算してたのか?」
「なんのことかな、貞治(しれっ)」


FIN                          

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