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作品紹介

<キャスト>
土方歳三:ビートたけし  加納惣三郎:松田龍平  沖田総司:武田真治  田代彪蔵:浅野忠信  近藤勇:崔洋一  井上源三郎:坂上二郎  山崎蒸:トミーズ雅  伊東甲子太郎:伊武雅刀  錦木太夫:神田うの  輪違屋のあるじ:桂ざこば  おまつ:吉行和子  湯沢藤次郎:田口トモロヲ  佐藤慶(ナレーション)

監督・脚本:大島渚
原作:司馬遼太郎  「新撰組血風録」角川書店・中公文庫のうち「前髪の惣三郎」「三条磧乱刃」より
撮影監督:栗田豊通
美術監督:西岡善信
衣装デザイン:ワダエミ
音楽:坂本龍一
製作配給:松竹株式会社
「御法度」サウンドトラック:ワーナーミュージック・ジャパン
「御法度」ビデオ・DVD:松竹株式会社  SB-888V(ビデオ)¥3,800(税抜)  DSS-64(DVD)¥4,700(税抜)

<物語(映画「御法度 GOHATTO」パンフレットより)>
 新選組が壬生から西本願寺に屯所を移してからまもなくの、1865年、夏。新選組道場では、総長・近藤勇、副長・土方歳三ら幹部立会いのもと、新隊士を選ぶ試合が行われていた。志願者の相手をするのは、新選組きっての剣の使い手・沖田総司。その中に、ひときわ目を惹く者がいた。鮮やかな白袴に身を包み、息を飲むような色気を放つ美貌の青年・加納惣三郎である。

 近藤勇、土方歳三、伊東甲子太郎ら幹部の厳しい審査により、この日、群を抜いて腕の立つ加納惣三郎と久留米脱藩の下級武士・田代彪蔵の二人が入隊を許された。総長の部屋へ呼ばれた加納と田代は、部屋の前に平伏するが、「二人とも、総長と隊の諸君は主従ではない。もっとこっちへ」との土方の言葉に、近藤の前に膝を進めた。そして加納惣三郎の顔を見た近藤と土方は、あまりの美貌に息を飲んだ。切れ長で単まぶたの目、色が白く美しい形の唇。体全体から鋭いような色気が漂っている。

 総長である近藤が、惣三郎のこの色気に惑わされたのか、普段は見せないような柔らかい顔で話しかける。そんな近藤の様子に、土方は「近藤さんには衆道の気はないはずだが…」といぶかる。

 隊士たちが寝起きする大部屋に掲げられた「局中法度」「軍中法度」は、厳しい戒律で縛る以外に集団を統制する手段もモラルも持ち得ない新選組を象徴している。特に一昨年の御所の戦の折に出来たという「軍中法度」は、「組頭討死に及び候の時、その組衆その場に於いて戦死を遂ぐ可し」というもの。それを見ながら田代は「きみはなぜ新選組に入ったのだ」と尋ねるが、惣三郎はただ謎めいた笑みを浮かべるだけ。田代は、この時から惣三郎の魅力に惹かれていく。

 翌日、惣三郎は命じられた初仕事にとりくむ。御法度を破った隊士の処刑だ。検視は監察の篠原泰之進がつとめた。血しぶきひとつ浴びずに見事に首を切り落とした惣三郎を、近藤は「勇気がある」と感心するが、土方は勇気とは違う何かを感じ、かすかな違和感を抱く。

 五日後、田代が深夜に惣三郎の布団にもぐりこみ、惣三郎の着物の裾を割って股下へ手を差し入れた。しかし一瞬のうちに惣三郎の左手につかまれ、のど元に脇差を突きつけられる。「声をおあげになりますか。それとも私が呼びましょうか」との惣三郎の言葉に、「そなたと寝ずに死にとうない」と田代。そして「ではお引き取り下さい」という惣三郎に「それなら今度祇園へ連れていこう」という。

 二人が入隊してからひと月もたたないうちに、惣三郎をめぐる噂が囁かれはじめた。いわく、「加納はまだ女を知らない」「言い寄る男があるらしい。特に五番隊組長出雲松江脱藩の武田観柳斎。加納と同期の田代彪蔵」「田代は加納に言い寄っているが、加納は田代を避けている」「しかし、前髪を落とそうともしない加納にその気はたっぷりある」・・・・・・。

 ある日、土方は池で村童が雑魚とりをしているそばで石を投げて遊んでいる沖田総司に声をかけた。田代と加納惣三郎の一件について尋ねたいことがあったからだ。「あの一件は、私には苦手ですよ。男が男を追っかけるなんて」と答える沖田に、土方は「腕はどっちができる?」と聞く。沖田はその質問に断固として「加納惣三郎ですよ」と言い切った。その後、なぜ加納は新選組に入ってきたのかと沖田が尋ねると、土方は池田屋の時に沖田が言っていた「京の各所に火を放ち、御所から禁裡様を盗み出し、長州へ連れてゆくなどと考える奴は、狂人か」という言葉を思い出した。そして「奴らは狂人じゃない、正気だ。ただ血気の人間が集まって、一つの空想を何日も議論しあっていると、幕府なんて明日にでも倒せる、そう思ってしまうんだ。そういう集団が発する匂いが若い人を引き寄せるんだ」と言った。

 沖田から田代より加納惣三郎の方が腕が立つと聞いた土方は、その足で道場へ行き、加納と田代に試合をするように命じた。腕は明らかに惣三郎がまさっているのに、試合では田代に圧されている。「こいつら、できたな」と土方は確信した。その二人の試合を、もう一人食い入るように見つめる男がいた。惣三郎に激しく想いを寄せる隊士、湯沢藤次郎である。

 ほどなく再び組内に噂が流れた。「加納惣三郎と田代彪蔵は出来ている」と。そんな時、近藤勇が広島へ問罪使として行くことになった。その近藤自らも、加納惣三郎の噂を耳にし、気になっている様子だ。

 その年の秋。惣三郎は、六番隊組長の井上源三郎と顔見知りとなった。若者が多い新選組の中で、40歳過ぎて茫洋としたところのある井上は、新選組結成時からの主要メンバーで、特異な存在だった。ある日、一つの事件が起こる。惣三郎が井上に稽古をつけてもらうことになるが、剣術のからきし下手な井上への配慮からか、無様な稽古になってしまい、それを覗いていた何者かに「大した芸たい。新選組とはこの程度か」と嘲笑されたのだ。新選組の体面を傷つけてしまった惣三郎の自責の念は重く深い。その心の揺れに乗じて、湯沢が惣三郎に優しい声をかける。

 夜、監察の山崎蒸が、土方にこの一件を伝えた。「人体は、一人は左顎に二寸ほどの刀傷を持った男で、紋は三星、いま一人は二十四、五の男ですが、紋が風変わりで、鉞のぶっちがいだったと言います。それから、これはさだかではありませんが、言葉は肥後なまりだったそうで・・・。肥後だとすれば、池田屋で宮部、松田を討たれた恨みを晴らそうとしているやからかも知れません」。この山崎の報告に、土方は直ちに調べるように命じ、すぐに井上のところに行き、「今日の一件だが、進入した不逞浪人は隊として見過ごすわけにはいきません。それでその始末を井上さんと加納君にしていただきます」と依頼した。

 その頃、惣三郎は湯沢藤次郎とともに祇園・「楓亭」にいた。そして今回の事件について、湯沢は「君はなぜ井上さんに手加減した」と惣三郎に問いただした。「私は手加減などしていません」という惣三郎に、湯沢は言った。「いや、した。私は見ていた。君の普段の稽古も見ている。君の腕で、井上さんに打ちこまれるはずがない。井上さんが局長、総長と同門だからか。いや、手加減したのが悪いとは言っていない。みんな、沖田総司を含めたあの四人には遠慮しているんだ。みんなが遠慮しているかぎりこの四人の権力は崩れん。全員同士といいながら実は支配されているのだ。それが厭な者は組を脱する以外にない。脱すれば、斬られる。この春脱走した山岡さんの場合もそうだ・・・」そう激した湯沢だが、その後、「いや、余計な話をした。問題は、なぜ私がその手加減がわかるほど、君をよく見ているかということだ。加納君、それがなぜだかわかるか」と今度は熱誠をこめ惣三郎へにじり寄った。

 「なぜ、ですか」と冷静に答える惣三郎に、湯沢はとうとう「私は、君を抱いて、暁けの烏を一声でも聴けば、寿命が縮まってもかまわぬ、と思っているんだ」と言い、惣三郎を押し倒した。こうして惣三郎は湯沢とも衆道の関係を結んでしまった。

 土方から事件の始末を命じられた惣三郎は、必死の探索の末、例の二人組の居場所をつきとめた。場所は三条大橋を東に渡ったたもとにある小川亭。やはり犯人は池田屋事件の恨みを持つ肥後藩の武士であった。惣三郎は折よく通りかかった隊の密偵の小者に二人をつけさせる。だがその小者はその日の夕刻、先斗町の鴨磧で死体となって発見された。隊の屯所に戻った惣三郎は、この一件をすぐに井上源三郎に話した。すると井上はすぐに小川亭に出かけようと言う。惣三郎と井上は、二人で小川亭に乗り込んだ。だが裏口から逃げたであろう肥後藩の武士を追ったことにより、井上は足を骨折、惣三郎も足を怪我し、さらに額に傷を負ってしまった。絶体絶命と思いきや、そこへ沖田の部隊が駆けつけ、二人は救われた。屯所へ戻る道すがら、田代は戸板に乗せられた惣三郎にぴたりと寄り添い、「加納君! 加納君! しっかりしたまえ! 加納君、加納君・・・」と惣三郎の名前を呼びつづけた。その様子を湯沢は嫉妬に燃える目つきで見つめる。

 その年も押し詰まった暮れの22日、総長近藤勇が芸州広島から戻ってきた。その夜は、さっそく酒宴が開かれた。近藤は上機嫌で、飲めないくせに「うまい。酒はやはり京だな」などと言う。そして「長州は禁廷様と幕府に対して奉ってひたすら恭順をみせかけているが、あれァ、まるっきりの猫っかぶりだよ。背後でやつらは武器をととのえている」と長州についての感想を述べる。幕府はてぬるい。いま防長二州の四方に兵を進め、毛利家をたたきつぶして天領にしてしまわねば、大変なことになるというのだ。だがそれに対し、伊東甲子太郎が「長州は昨年、馬関海峡で四ヶ国の艦隊に対し、一藩でもって攘夷を断行している。天下の志士は、そのことに喝采を送った。近藤先生は攘夷論者でしょう。ならばもっと柔軟な長州観があってしかるべきでしょう。不幸にも夷狄の大砲がまさっていたために、長州は沿岸の砲台をことごとくたたきつぶされた。そのうえ幕府の征伐を受けようとしている! 長州は瀕死の重傷を負っている! これを討つのは武士ではありません!」と反論する。

 議論がもう少し続くかと思われたその時、「ごめん」と襖が開いて、井上源三郎が酒宴の席に入って来た。そして「無事のお帰り何より・・・」と挨拶したことをきっかけに、話題は例の事件の話になった。そして近藤は「あの顔に傷はつけたくなかったな」と言ってニヤリと笑った。

 それからしばらくたったある雪の日、湯沢の惨殺死体が発見された。監察の山崎蒸が調査にあたるが、犯人はわからずじまい。

 春になって、隊に衆道がはびこることを恐れた近藤は、惣三郎に女を教えるよう、土方を通じて山崎に命じた。「島原へでも連れてゆけばいいんですね」という山崎に、土方は「まあ、そうだ」と言って、山崎の分だけ金を差し出す。

 すぐに命を実行せんばかりに山崎はしつこく惣三郎を遊郭に誘うが、山崎も自分に気があると思ったのか、惣三郎は逃げ回るばかり。だが、一か月もすると惣三郎が逆に山崎に好意を示すようになる。ともすれば惣三郎の魅力に惑わされそうになる自分を咎めながらも、山崎はある日、惣三郎を島原へ連れていけることになった。惣三郎から「島原へつれて行っていただけませんか」と言ってきたのだ。島原は輪違屋。惣三郎を連れていく前に、山崎は店のあるじに惣三郎のことを話し、「できるだけ心映えのやさしい妓を」と注文を出す。「では、天神でございますな」というあるじに、山崎は「いや、太夫がええ」と言う。そして惣三郎には、島原一と評判の錦木太夫があてがわれることになった。しかし山崎と夜をともにできると信じていた惣三郎は、女を拒み、結局指一本触れることもしなかった。

 次の夜、山崎が夜道で何者かに襲われた。襲撃に失敗した男は逃走し、後には小柄だけが残されていた。山崎は各隊の隊長に頼み、「小柄のない差料を用いている者を探してもらいたい」と頼む。そうして調査を進めた結果、その小柄は田代の物であることが判明した。土方は、その報告を受けて「君には気の毒なことをしたなぁ。田代は君が惣三郎を奪ったと思ったのだろう。君が恋がたきになったわけだ。衆道の嫉妬というのはすさまじいものらしい。まして田代は、惣三郎を衆道に仕立て上げた男だ。それを君に横盗りされてはたまるまい」と山崎に言い、田代が家老屋敷の中間奉公だったことを知ると、「中間部屋で衆道を覚えたか。いい腕だが、身を滅ぼすことになる。因幡薬師で湯沢を斬ったのも、あの男だ」と断定した。近藤は土方からの経緯を聞くと、惣三郎の手で田代を始末するよう命じ、介添人として土方と沖田を指名する。

 その任を土方より命じられた惣三郎は「私が? 田代さんを?」と一瞬、動揺するが、すぐに「やってみます」とひどく酷薄な顔で答えた。そして土方に「君はなぜいつまでも前髪を切らん。切りたまえ」との言葉に、「いましばらくご容赦ください。願をかけております」と答えた。

 惨殺の場となる鴨川の四条中州。土方と沖田は二人が現れるのを待っている。沖田は土方に、「なぜ討ち手が惣三郎なのですか?」と問いかける。「近藤さんの決めたことだ」という土方に、「理由は?」と沖田はなおも問い詰める。そして「近藤さんは惣三郎を好きなのですか?」と聞いてくる。土方は「近藤さんにその気はない。お前も知っている通りだ」と答えるが、沖田は納得できない様子で、「しかし・・・・・・、近藤さんの惣三郎を見る眼ははじめからほかの隊士を見る眼と違います。土方さんもです」と指摘した。

 沖田はさらに「近藤さんと土方さんの間はどうなんです?」と尋ねる。「どういう意味だ」と答える土方に、沖田は言う。「私にはお二人の間には誰も入れないという暗黙の了解があるような気がします。それが新選組なのです。ところが時々、そこへ誰か入ろうとする。近藤さんがうかつに入れようとする時もある。そして土方さんはそれを斬る」。

 沖田のこの言葉に土方は「総司。黙れ!」と激怒する。すると沖田はふいにこの会話を楽しむように『雨月物語』の中にある「菊花の約」という物語を語りはじめた。

 「播磨の国で若い清貧の儒者が旅に病んだ武士を助け、病が治るまで介抱をつくします。二人は語り合うほどに心が通い、兄弟の盟を結びます。しかし病が治った武士は、出雲の国の残党だったため、一度は国に帰らねばならず、この秋の9月9日、重陽の節句に必ず再び訪ねると約して去って行きました。そして約束の9月9日、菊の佳節。儒者は菊を飾り酒を買い、鮮魚を煮て武士を待ちます。しかし待てども、待てども武士は来ません。ところが陽が暮れて、夜も遅くなり、もうあきらめようと儒者が思ったその時、武士はやってきたのです。しかし武士はなぜかふさいで、酒にもさかなにも手を出しません。それをいぶかる儒者に突如“吾は陽世の人に非ず”と言いだしたのです。出雲へ帰った武士は、怨敵尼子の殿に一矢報いるはおろか、城に留め置かれて逃れるすべなく、遂に菊花の約を果たさんがため、みずから刃に伏し、魂となり風に乗ってきたのだというのです」

 「いい話だな」という土方に、沖田は、しかしこれは衆道の交わりを結んだ二人の男の物語ではないかと思うと言い出した。この沖田の意見を聞いた土方の眼に、幻影が浮かんだ。それは惣三郎をめぐる新選組の男たちの関係を暗示した不思議な幻想であった・・・。

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作品に対する思いを熱く(?)語ってます。
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映画への思いが短歌という形で出てきたので、それをご紹介しています。
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2000年の春に映画が撮影された京都のロケ地を巡った際に撮影した写真のアルバムです。
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